なおやん日記

「何になるか」ではなく「どんな人になるか」が大切だという話

※2022年8月15日に下書き保存していたものを投稿

ふとしたことから以前読んだ本「賢者の書」に書かれていることを人に話すことになった。その内容は本に登場する第4の賢者による話。

人は「何になるか」ではなく「どんな人になるか」が重要であるという内容の話だ。

半分おふざけでこの内容を話してみたのだけど、しっかり聞いてくれて心に届いたものがあったみたいだった。僕もそうだけど、人はどうしても「何になるか」に焦点を当てて人生を考えてしまう。特に仕事に対してはその傾向が顕著だと思う。

こんな感じで職業の種類ばかりを考え、それになれれば幸せになれると考えてしまう。

でも、そうではないよね、ということが賢者の書では書かれている。

「何になるか」を目標にしても幸せにはなれない

「何になるか」を考えることは悪くはないけど、それを第一優先にしてはいけない。人生の成功はどんな職業に就くかで決まるものではなく、むしろ誤解したまま医者を目指したり弁護士を目指したり、その他の職業を目指してしまうと苦しみが生まれてしまう。

これになれば幸せ、という職業は存在しない。

例えば、多くの人は成功の代表として医者になることをイメージするが、本当に医者になった人は全員幸せになっているのだろうか?

幸せな人はいるだろうが、そうでない人もたくさんいると思う。その差はなんだろうか。

結論としては「どんな人になるか」という理想の人間像が先にある人が幸せで、そうでない人は苦しみを抱えてしまうということ。

「どんな人になるか」を考えることが大切

どんな人になるか。要は理想の人間像のイメージが先にきているかどうかによる。

医者になる人を例にとってみても、優しい人になりたい、という理想の人間像がある人はその理想を実現させるために医者という選択肢を選ぶ。この場合、理想像を現実にさせるためには何も医者ではなくてもいい。

優しい医者になってもいいし、優しいブロガーになってもいい。「優しい」という理想像が先にあれば、実はどんな職業に就いても幸せになれる。

でも理想像を飛ばして医者を目指した場合、仮に実現したとしても幸せとは言えない。思っていた職業でないという感覚にすらなるだろう。もし医者になるのであれば「どんな」医者になるのかがとても大切。

その辺に転がっている職業を引っぱってきて夢と呼んでも幸せになることな難しい

よくこどもの頃に「将来の夢はなに?」と大人に聞かれた。こども心としてはそんなの考えていなくて、楽しく幸せに生きていければいいと思っていたはずだけど、何度も親や先生にこの問いを聞かれることでこう思うようになる。

将来の夢ってものを決めないといけないんだ

で、そんなのまだ多くを経験していないこどのには分からないから、無理やり大人が喜びそうなものを将来の夢として話し始める。

これってまさに、ただその辺に転がっていた職業を引っ張ってきて夢と呼んだだけ。これを言えば大人に喜んでもらえることをこどもは知っている。

もちろん、本当の夢として上記を上げているこどももいるだろう。それはとても素敵なことで、美しいこと。でも多くは違う。大人を喜ばせるために言っている。

こうやって自分の夢ややりたいことを偽りだすから、途中でわからなくなる。厳しい受験のときや、国家試験のときなど、なんでこんなに苦しい思いをしているんだっけ?となる。本当の自分が望むことではないから、そりゃ苦しいよね。

大人になった今、こどもに偽りの夢を持たせないように気をつけなければならない。

「将来は何になりたいの?」

「将来の夢はなに?」

これらの問いかけは危険。

「どんな人になりたいの?」

こう聞ける大人であろうと思う。

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