8月16日から20日までの5日間、彼女と旅行をした。栃木県の小山駅で集合し、最初は群馬県水上市の宿に宿泊。お互いに自然豊かなところが好きで、山や森、川を求めて場所を決めた。
宿はゲストハウスみたいな感じで、外国の方がたくさんいた。こういうタイミングで英語のできなさをつくづく実感する。
そして2日目にチェックアウトし、車で移動中にきれいな川を見つけ冗談半分にどちらかが「川に入っていく?」と言ったことをきっかけに本当に川まで降りていき、草をかき分け、足首だけ水につけて自然を楽しんだ。
そのときに僕はなにを思ったか、スマホを使って水中の動画を撮影しようと思いついた。
使っているスマホは防水だし、過去に何度も水につけて動画や写真を撮ったことがあった。まずはカメラ部分だけを水に入れ、水中の様子を撮影。撮影した動画をチェックし、いい感じだったので次はスマホ全体を水中に入れ動画を撮影。
こちらも動画をチェックし、満足したので水気を振り払ってからスマホをポケットにしまった。
で、川から上がり車に戻るまでの途中で撮影した動画を再度見ようとしスマホを起動しようとするが起動しない。
何度電源ボタンを押しても起動しない。見事に水没したのだった。
スマホ自体もう5年ほど使っており、劣化もあり防水性能が機能しなくなっていたようだ。思えば過去に水中にスマホを入れ遊んでいたのはもう何年も前のこと。古くなったスマホに水は耐えられなかったらしい。
もちろんその場ではどうすることもできず、その旅行中の残り4日間はスマホなしで過ごすことになった。強制デジタルデトックスである。
そして昨日家に帰ってきたのだけど、今回の強制デジタルデトックスで気付いたことがある。
意外とスマホはなくても困らない。
むしろその瞬間を全力で楽しむことができるようになった。
今までは生活においてスマホは必須だと思っていた。なくなると生活ができなくなると考えていた。でも、どうやら違った。
スマホは必須であると思い込まされていただけだった。
確かに多少の不便は感じたけど、それはPayPayが使えないことだったり、やり込んでいたスマホゲームがなくなったりした程度。本当にそれだけ。ゲームにとられていた時間を強制的に取り戻せたのは大きい。
連絡ツールについても愛する人と一緒にいる間は必要ないし、どうしてもの場合はパソコンを開けばいい。
スマホを失ったことで今この瞬間を楽しむことができた。
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スマホって、最も大切な「目の前の現実」を奪うものだと思う。もちろん便利なものであることには変わりないのだけど。
1日のスクリーンタイムが6時間を超える人もいるらしい。冷静に考えれは、1日のうちの6時間を液晶画面を見て過ごしているのは不自然すぎて少しゾッとする。その結果、得られるものは?
そういう僕も過去にスクリーンタイムが6時間を超えたことがあった。
で、頭の中に残っていることはほとんどない。
時間をかけて見ていた動画、遊んだゲーム、それらからの充実感はまるでない。ただスマホに支配されていただけの感覚。
だったらスマホを置いて散歩して、温泉に入って、本を読み、好きな人と出かけようと思った。スクリーンの中ではなく、目の前の現実を大切にしようと思った。スクリーンに没頭するよりも、散歩をして、温泉に入って、本を読み、好きな人と出かけたほうが精神が充実する。
感覚的な話だけど、とても満足する時間になる。
それを今回の旅で思い出した。スマホって思ったよりも必要ないって。むしろないほうが楽しいって。
便利なツールはある。連絡、ナビ、支払いなど。
これら最低限だけを使って、これをきっかけにもう一度スクリーンに支配されない日を送っていこうと思った。